「おっぱい揉みたい」とつぶやく男たちの心理について

おっぱいをお持ちの方もお持ちでない方もこんにちは。よーすけぴっぴだよ。
今日はみんなの大好きなおっぱいについての話をしよう。

 

 

みんなもツイッターを永くやっていると男達の「おっぱい揉みたい」といった旨の発言を目にしたことが何度かあると思う。いや、何度かなんて生易しいレベルではないかもしれない。男たちは皆ナントカのひとつ覚えのように口を開けば「おっぱい」、送ってくるクソリプもクソDMも「カワイイね!おっぱい揉ませて^^」といった類のものばかり。谷間の自撮りに亡者の如く群がり、乳首が見えている・いないで一喜一憂、下乳は最高だの横乳は至高だの巨乳は正義だの貧乳はステータスだの、明けても暮れてもおっぱいの話ばっかり。おっぱいおっぱいまたおっぱい。まったく、男ってホントに馬鹿よね。

 

女性のみなさん、違うのである。ことはそう単純ではないのである。男たちが口々につぶやく「おっぱい」という単語の裏には、実に色々なニュアンスが隠されているのである。そう、おっぱいは男達にとって様々な事柄に対するメタファーなのだ。

 

「異性」、「性欲」、「母性」。こういったもののメタファーであることは容易に納得がいくだろう。おっぱいは女性特有の器官で、性行為にも子育てにも重要な器官である。
また、21世紀に突入し十数年経った今でも金、地位、名誉、そして女といったものを成功の定義と見なす人間はまだまだ多く、その意味でもおっぱいを「成功」のメタファーにする男達も多い。性風俗産業の発達した日本では金さえ積めば好きなだけおっぱいを揉める現状もあるので、おっぱいは「金、大金」のメタファーにだって十分なりえる。

おっぱいが恒温動物である霊長類ヒト科の身体器官である以上、単純にそれは触ると温かい。これらの事実はおっぱいを「温もり」「人の暖かさ」といった類のメタファーにするだろう。
女性が相手におっぱいを揉ませるときはどんな時だろうか。街を歩いていていきなり「すいませんがちょっとおっぱいを揉ませて下さい」と言われて揉ませる人はいないだろう(いるなら是非教えて欲しい)。相手の人となりを知り、「この人になら揉ませてあげてもいい」あるいは「この人に揉まれたい」と思わなければおっぱいを揉ませはしないだろう。そういう意味でおっぱいを揉むという行為は「信頼」や「好意」の上に成り立つものであり、相手から「承認」されない限りおっぱいを揉むことはできないのである。
(風俗嬢が全ての客に対して信頼や好意を持ったりはしていないだろうが、少なくとも客と風俗嬢は金銭を介しておっぱいを揉む/揉まれることを「承認」されている。)

 

…長々と書きましたが、要するに男たちの「おっぱい揉みたい」には人によって実に様々な意味が込められているわけです。
人生の成功を、寂しさからくる人の温もりを、人と人との暖かな信頼関係を、満たされない承認欲求を、あるいはそれらのない交ぜになった、複雑な魂の叫びを。彼らは「おっぱい揉みたい」の一言に込めて発しているのです。たぶん。